何を見ても何かを思い出す

自分用映画と本と日常メモ。ブログ名はヘミングウェイの短編から拝借。だいたい何を見ても何かを思い出すので。

渇き

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パク・チャヌク監督の「渇き」をDVDで鑑賞しました。見るのは2回目です。どうしてももう一度見たくなって、新宿TSUTAYAで再度借りてきてしまいました。1度目のような衝撃はなかったけれど、やっぱりちゃんと面白かったです。

10秒で分かるあらすじ

悩める神父が不治の病の人体実験に志願→輸血したせいでヴァンパイアになる→人妻と恋に落ちる→旦那を殺して人妻をヴァンパイアに→人妻が人を殺しまくる→神父が無理心中でエンド。

とにかく、姑がものすごいのです・・・。

ざっくりした感想

基本のトーンはシリアスなんですが、ところどころつい吹き出すような描写がさすがパク・チャヌクという感じ。ヴァンパイアになった神父が、小太りの元ホームレス?の汚いおっさん(意識不明)の血を点滴チューブから逆流させて飲む場面とか、おえっとなりながらも爆笑しました。 

 

そしてなんといっても、キム・オクビンの美しさよ。前半の、生活に絶望しきっている投げやりな主婦から、後半のヴァンパイアになって妖艶な魅力をこれでもかと振りまきまくる彼女は、とても同じ人間とは思えません。数度はさまれるセックスシーンでのみごとな脱ぎっぷりとうっとりするおっぱい…私はこれを見たくて2回見返しているのだ!!!!

「渇き」におけるヴァンパイア像

そもそも私はヴァンパイアものに弱いです。さかのぼると、王道少女マンガ「ときめきトゥナイト」に行き着きます。小学生3年生の私の誕生日プレゼントはときめきトゥナイト全巻。ときめきトゥナイトのヒロイン・蘭世は純粋なヴァンパイアではなく、狼女とのハーフなので、血は吸いません。でも首元に吸い付く(牙をさす)というビジュアルがもう萌えなわけですよね。ヴァンパイアの真骨頂は、誰がなんと言おうとあの首筋にあります。

 

で、「渇き」におけるヴァンパイア像ですが、簡単に以下にまとめてみました。

  • 超人的な力をもつ
  • 視力・聴力などの五感も人間離れする
  • 太陽の光を浴びると焦げだし、浴び続けると死ぬ
  • 血を吸うと力が出る。
  • 吸わないともともと身体に潜んでいたウィルスなどにやられだす
  • 人間の食べ物は食べられない
  • 人を殺したい欲求がある
  • 十字架とかにんにくとかは大丈夫そう
  • 首の骨折くらいでは死なない

まあこんな感じです。「典型的なヴァンパイア像には飽々」「パク・チャヌクならもっとひねって欲しかった」みたいな意見もあるようですが、私は声を大にして言いたい。

ヴァンパイアは典型的であればあるほど良いのだ!

ゾンビファンの人ってけっこういっぱいいて、よく「あるべきゾンビ像」みたいな論争を見かけるんですが、それといっしょで、ヴァンパイアも古典的であればあるほど良いと私は思ってるのです。青白い顔とか歳を取らずいつまでも若く美しいとか、美女で処女の血が美味しいとか、そういう耽美主義と切っては切り離せないのです、ヴァンパイアは。

ポーの一族』・『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』など

まあそれほどヴァンパイアもの見てるかといえば、見てないんですけどね。でもせっかくの機会だったので「ポーの一族」を読んでみました。萩尾望都の少女漫画(という安易な枠組みに押し込んで良いのか微妙ですが、一応)です。ここでは太陽を浴びても死なないですね。また、血を吸わなくても手で人間に触れるだけで生気を吸い取れるという描写があります。あとは薔薇ですね。薔薇が糧になっています。オオイヌノフグリとかではもちろんだめです。薔薇というところにヴァンパイア性を感じます。

 

歳はとらず、子供の頃になヴァンパイアになったら一生子どもの姿のまま、ということから悲劇が生まれたのは「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」もそうですね。映画はけっこう酷かった印象があるけど、でもやっぱブラピがヴァンパイア姿でいてくださるというだけで5千点(あとはほとんど覚えてない)。

 

ヴァンパイアものって、かなり設定に幅があるんですよね。話がそれたけど、この「渇き」では陰気な神父をヴァンパイアにするところに新奇性があったのかな。それをただの悲劇にせず、コメディにするところがチャヌク監督の上手さだなと私は思いました。

 

でも何と言っても、この映画の真髄は姑にあるでしょう。かなり強烈なキャラですが、物言わぬ観察者になってからの姑はものすごい凄みがあります。夫を殺してからの二人はその罪悪感に飲み込まれそうになり、お互いを傷つけ合うようになりますが、それを沈黙のまま(まあしゃべれないからなんだけど)ただ見つめる姑は、いったいどんな役割をしているのか?

 

神父にとっては神のような存在なのではないか、と途中思ったけど、違う、むしろテジュにとって神のような視点なのではないか、と思い直しました。実際テジュにとって、姑は母親のような役割をしてきている。彼女の世界はあの非常に歪んだ呉服店のなかでほぼ完結しており、そのなかで姑は神に等しかったはず。神父に救ってもらったと思いきやテジュは夫を殺したあともあの呉服店の二階の家に住み続けるし(どこかに出ていっても良かったのに)、姑の世話をし続けている。

韓国的な家庭感もあるんだろうな。そのへん韓国文化に詳しくないからよく分からないけど…一度その点をじっくり勉強してみたいなと思いました。

 

思い出したこと

パク・チャヌク作品を見ると園子温を思い出すのは私だけではないはず。特に『冷たい熱帯魚』を思い出しました。あとテジュが屋上から落とされて身体がめちゃめちゃになるんだけどふらふらしながら起き上がるところ、『永遠に美しく』を思い出したな。あれ昔テレビで飽きるほどやっていたけど、今でもやってるのかな?