何を見ても何かを思い出す

自分用映画と本と日常メモ。ブログ名はヘミングウェイの短編から拝借。だいたい何を見ても何かを思い出すので。

キャロル

飯田橋ギンレイホールで「キャロル」「リリーのすべて」の二本立てを見てきました。 本当は六本木でやっているジブリ展を見てから行くつもりで、見るのも(時間的に)キャロルだけにする予定だったんだけど、ジブリ展がまさかの2時間待ちだったので、もうあきらめて2本立てをそのまま見ることにしました。結果、まあそれなりに良かったよ。

「とにかくケイト・ブランシェットの背中がやばい!!」とネットで読んでおり、しかもルーニー・マーラがまたもやレズ役(ドラゴンタトゥーの女・サイドエフェクトに続く)ということもあって、完全にビジュアル優先の期待を持ちつつ挑んだわけだけど、その点では最高だったな。ケイト・ブランシェット、抱かれたいです。

10秒で分かるあらすじ

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出典:映画『キャロル』公式サイト

裕福な主婦(離婚しそう)なキャロルと写真家希望のフリーター・テレーズが会う→お互い一目惚れ→いろいろあって旅に出る→実は探偵を雇っていた夫にセックスしてるところを盗聴されてる→娘の親権取られそうに→キャロル、テレーズの元から去る→いろいろ一段落してテレーズに一緒に住んで欲しいという→断られる →がしかし・・・?

 

みたいなところで終わりましたね。

ケイト・ブランシェットの素晴らしさ

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出典:fashion press

まずはなんといってもケイト・ブランシェットが素晴らしかったです。私はどちらかと言えばルーニー・マーラのファンで、ルーニー・マーラを見に行ったみたいなところありましたが、今回に限っては完全にケイト・ブランシェットの圧倒的存在感でマーラが霞んで見えたほど。ケイトのあの目に見つめられたら、私もたぶん旦那をおいて一緒に旅にでます。

 

そして前評判で聞いていたその背中。細くて綺麗、とかじゃないんだよね。とにかくたくましいのです。筋肉隆々ってわけじゃない。でも思ったよりもずっと広くて、適度に堅くまた適度に柔らかそうで、肩のまわりの肉が動く様子が、まるで彫刻のように芸術的なのです。

遠くから見るバレリーナの身体がとても繊細なように見えて、近くで見ると野性的なまでに鍛えぬかれているように、人間の美しさと生命力にに気付かされる。女性のヌードというだけではない何かが彼女の背中にはある、そんな背中でした。見ると思わずはっとしてしまう、あの背中を見るだけでこの映画の価値がある、と私は思います。

同性愛の物語、というだけでない普遍性

視線の送り方

ひとことで言うと、映画「キャロル」テレーズとキャロルという女性二人の恋の話です。

女性二人、だから同性愛というところに注目が行きがちですが、それ以前にこれは恋の話なのだと私は思いました。とにかく、一目惚れの描き方が秀逸でした。 今回のケイトは背中だけではない、その目、眼差し、視線の送り方もとにかく素晴らしいの一言でした。これに関しては、ルーニー・マーラも同じく素晴らしかった。視線だけで、恋の始まりと終わりと、それからの関係が表現されていると言っても過言ではなかったです。

 

混雑しているデパートでキャロルを見つけたテレーズと、そのテレーズを見つめ返すキャロル、すでに二人はその時点で相手が自分の「特別」であることを認めているし、その時点で恋はもう始まってしまっている。これは別に相手が同性だろうがなんだろうが変わりないことで、そういう一目惚れをものすごく分かりやすく、共感できる形で映像化していると感じました。一目惚れをしたことがある人なら分かるはずです、ああもう始まってしまったんだということが。

 

車に乗り込んだテレーズの視点で見るキャロルの横顔、その間に挟まれる、おそらくキャロルの視線でのテレーズの横顔、お互い目の端で(あるいは正面から)お互いのことを観察しあっている、どうしても目線を向けてしまうしそらせない、という映像が続くんですが、その映像は鮮明ではなく、かなりぼやけている。なんなら音もぼやけていて、話し声はほとんど聞こえない。でも恋ってそういうもんだ。浮かれている。

 

その時点では視点はテレーズなので、この浮かれ方はテレーズの浮かれ方なわけです。テレーズにとってキャロルは、これまで自分の人生では出会ったことがないようなゴージャスな、別世界の人間。そんなキャロルが、どうやら私のことを好きっぽい(一目惚れ同士って、相手が自分のことをどう思ってるか、かなりの精度で分かるものだよね)となれば、それは浮かれます。そういうテレーズの浮かれ具合とかがすごく上手に撮られているなと思いました。

テレーズの失恋・それでもキャロルに向かってしまう終わり

私が一番「最高です!!」と思ったのはラスト。

 

娘の親権を取り戻すために一旦テレーズから離れたキャロルはしかし、本当の自分を受け入れた上で生きるために親権をあきらめ、面会権を要求することで夫との争いを終えます。その後、テレーズに連絡を取り、「一緒に住んでくれないか」と頼みます。あのゴージャスで、別世界の人のように美しく気高い彼女が、頼むわけです。

 

しかもこのときテレーズはかなり冷たい態度でその依頼を退けるの。まあそれはそうだよテレーズはキャロルに置いていかれてすごく傷ついたんだもん。だからまあ言うたら下克上みたいな感じなわけ。実はキャロルこそがテレーズを求めていたのだ、ということがここではっきり分かるわけ。こういうのに弱いから、もう最高って叫びそうになった。

 

とにかくケイトが最後まで最高なのだ。怯えていてでも少し期待していて、やっぱりだめそうだと分かったときには絶望してでもそれを表に見せないようにものすごい努力をしていて、しかも去り際ぐらいはスマートに去りたいと思っていて、気丈にそう振る舞う。こういうのって体験したことある人いると思うけど、それがもうものすごくリアルで愛おしい。本当に素晴らしい。もうもう萌えでした。

メモ

ほかに思ったことは、実はちょっと筋が破綻してるけどまあ気にならないよねとか、ケイトが着てたグリーンのセーターはきっとジョン・スメドレーとか、私はけっこうあの時代のブラジャーの形が好きとかそういう細かいことをつらつらと。オールタイムベストにはならないとは思うけど、十分良い映画だな、という感じです。

思い出したこと

あの時代のブラジャーの形、というところで、バック・トゥ・ザ・フューチャーで女の子が「こんな形のブラジャーなんて」っていうところをなんとなく思い出した。私はこの時代の、広めに突き出たかたそうな感じのブラジャーの形が結構好きだ。時代でブラジャーの形はかなり変わるけど、あの時代のブラジャーはひと目見ただけで分かるね。

 

私が、生きる肌

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DVDで『私が、生きる肌』を見ました。ジャケットのビジュアルがいいですよね。『エクス・マキナ』に似ている。つまりすこしSFっぽいんですよね。内容はSFではないんですが、面白かったです。

 

10秒で分かるあらすじ

軟禁されてる女性→メイドの息子がたずねてくる→実は息子は強盗して警察に追われていた→軟禁中の女性をレイプ→皮膚科医が強盗を射殺→実は強盗と皮膚科医は異父兄弟(二人はそれを知らない)→皮膚科医の過去が明らかに→妻はかつて強盗とかけおち→その途中で事故に会い全身やけど→一命を取り留めたが自殺→そのトラウマで娘は精神不安定→娘がレイプ未遂される→娘も自殺→レイプ魔を見つけて皮膚科医が監禁→性転換・整形・皮膚移植を施して妻に似せる→妻に似せたレイプ魔を愛すように→レイプ魔、皮膚科医とメイドを射殺→家に帰るでエンド。

 

もっとマッドサイエンティスト的な描写が多いと期待していましたがそんなことはなく、むしろ皮膚科医があまりにも典型的な理系男子で胸が痛かったです。

 

詳しいあらすじ

世界的な形成外科医ロベル・レガルが暮らすトレドの大邸宅の一室に、ベラと名乗るの美しい女性が、レガル家で古くから働く初老の家政婦マリリアの監視の下、軟禁されている。ベラはロベルの妻ガルに瓜二つであるが、実はガルは12年前に交通事故で全身火傷を負い、非業の死を遂げていた。

その後、ロベルは妻を救えたかも知れない「完璧な肌」を作り出すことに執念を燃やし、ベラを実験台にして自らの開発した人工皮膚を使って彼女を亡き妻の姿に作り変えていたのだ。そんなロベルをベラは誘惑するが、ロベルはベラに惹かれつつも彼女の誘惑を拒む。

そんな或る日、マリリアの息子セカが強盗を働いて指名手配される中、匿ってくれと屋敷に現れる。マリリアはセカを渋々屋敷の中に入れるが、セカはベラの存在を知ると、ロベルが留守であることを好い事に、彼女をガルと思い込んで無理矢理ベラの軟禁されている部屋に押し込み、ベラを犯す。然し、ベラは自分を屋敷から救い出してくれとセカに頼むと、セカの望むままに抱かれる。其処にロベルが帰宅し、セカを射殺する。 

ロベルがセカの遺体を埋めている間、マリリアはセカがロベルの父違いの弟であり、ロベルの実母が自分であることをベラに語る。セカの父親は使用人だが、ロベルの父親は先代のレガル家の主人であり、正妻に子ができなかったため、主人とマリリアの間に生まれた子をレガル家が引き取り、マリリアに世話をさせて育てたのだ。 

そして、今回と同じように警察から逃れて来たセカを匿ったことを切っ掛けに、ロベルの妻ガルがセカと不倫関係になり、駆け落ちの途中で交通事故に遭って大火傷を負ったこと、又一命は取り留めたにもかかわらず、自らの焼け爛れた姿を苦にして部屋の窓から投身自殺したこと、更にロベルとガルの娘ノルマが母の自殺を目撃して心に大きな傷を負い、その後同じように自殺したことを、マリリアはベラに語って聞かせる。

その夜、ロベルとベラは肉体関係を結ぶが、セカの陰茎によりベラの性器が傷付けられた為に、ことを成し遂げられないまま、2人は眠ることにする。そして、2人の回想として、ベラの正体が明かされる。

6年前、ロベルと娘ノルマは知人の披露宴に出席していた。ノルマは母の非業の死で精神を病んでいたが、その頃には状態が落ち着いており、披露宴会場で出会った地元の仕立て屋の息子ビセンテと一目で惹かれ合う。薬とアルコールの勢いも有り、2人は庭の叢で関係を結ぼうとするが、その途中でノルマが発狂する。慌てたビセンテはノルマを殴って気絶させて逃げ出すが、その様子をロベルに目撃されてしまう。ノルマは完全に正気を失い、父であるロベルのことすら分からなくなる。

ロベルは娘の復讐の為に、ビセンテを誘拐して監禁する。そしてノルマが自殺すると、ロベルは屋敷内の手術室でビセンテに性転換手術を施す。更にロベルはビセンテの顔を整形し、自ら開発した人工皮膚を使って亡き妻ガルに似せて行くと、「彼女」にベラの名を与える。 ロベルを愛していると云うベラをロベルは信用する。

そして漸く結ばれることになった2人だったが、ロベルが油断した隙に、ベラはロベルが隠し持っていた拳銃を盗み出すと、ロベルを撃ち殺す。銃声を聞いて駆け付けたマリリアも撃ち殺したベラは、屋敷を逃げ出し、生まれ故郷に戻る。そして母に自分がビセンテであることを告げる。

出典:ウィキペディア

 

悲しき理系男子

見終わった後に思ったのは、 「典型的な理系男子や…」ということ。そう思った理由を箇条書きにしてみた。

 

・どう考えても恨まれてるはずなのに、信用しちゃう(だって妻に似てるから)

・ピストルで撃たれてもなお「約束したのに…」とか言っちゃう(約束とかそういうレベルの話じゃねーだろ)

・そもそも駆け落ちされている

・娘の気持ちも分かってない

・女の扱いが分かってない

・見た目に騙されすぎ

 

なんかもう切ない。さらって性転換・整形・皮膚移植(かなりエグそう痛そう)軟禁までしてて、どう考えても殺すほど恨まれてるに決まっているのに、顔が妻だから信じてしまう。結局のところ、妻のことも愛していなかったのだと思う。彼が愛していたのは自分の中にある理想の女性だ。だから逃げられるんだよ、と女の私は思う。

 

そもそも、妻(自殺する前の本来の妻)との描写がほとんど無いんですよね。あるとすれば、不倫して駆け落ちした途中で事故にあって全身やけどを負った妻のエピソードのみ。まるで愛し合っていたから妻が忘れられないかのようにロベルは思っている(ように描かれている)けど、おそらく彼らは一度も心から愛し合ったことがないのではないか。 

 

だいたい、娘のことも何一つわかっていない。分かっていないというか、分かってるけど見て見ぬふりをしているというか。ビセンテがノルマの下着を履かせ、スカートを整えて去っていく場面を写したのはうまくて、レイプ後にあんなに身なりが整っているわけがないのは、おそらくロベルも気づいているはずなのだ。なのにそれにあえて気づかないふりをしつづけて、ビセンテが記憶のないことを良いことに、レイプ魔と糾弾してビセンテを良いように利用していく。

 

ロベルははじめからビセンテに復讐しているわけではないのだ。妻をなくし娘をなくし、しかもその真意が死んだ後も理解できず、どうすればいいか分からなくて、同じ人形を作りたかっただけなのだ。

 

しかも同じ人形ができたらその違和感に気づくかと思いきや、むしろ昔以上に(本物の妻以上に)満足してしまうのだ。ロベルがほしかったのは何だ?自分を全肯定してくれるもの、全能の美しい女神か?

 

でも男性って多かれ少なかれそういうところがあると思う。母性と聖性と少女性を併せ持つ、完璧な理想の女性像は誰しも持っている。でももちろん現実にはそんな女性はいないので、現実とすりあわせてなんとか恋愛したり結婚したりして、「現実は理想とは程遠いけど、これも悪くないな」とか思って生きていっているわけである。

だからまあ切ない。切ない話でした。

 

その他感心したところは、

・皮膚科医、監禁された男の子どちらも恨めないように作ってあるのはすごい。

・てゆーかあんな背の低いのどうやって見つけてきたのか?オーディション?

てとこかな。あととにかく女優が美しい。なんのファンデーション使ってるんだ?あ、あと、ベラにメイク道具を送るとき、それがすべてシャネルだったところも「理系男子…」と思いました。

 

渇き

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パク・チャヌク監督の「渇き」をDVDで鑑賞しました。見るのは2回目です。どうしてももう一度見たくなって、新宿TSUTAYAで再度借りてきてしまいました。1度目のような衝撃はなかったけれど、やっぱりちゃんと面白かったです。

10秒で分かるあらすじ

悩める神父が不治の病の人体実験に志願→輸血したせいでヴァンパイアになる→人妻と恋に落ちる→旦那を殺して人妻をヴァンパイアに→人妻が人を殺しまくる→神父が無理心中でエンド。

とにかく、姑がものすごいのです・・・。

ざっくりした感想

基本のトーンはシリアスなんですが、ところどころつい吹き出すような描写がさすがパク・チャヌクという感じ。ヴァンパイアになった神父が、小太りの元ホームレス?の汚いおっさん(意識不明)の血を点滴チューブから逆流させて飲む場面とか、おえっとなりながらも爆笑しました。 

 

そしてなんといっても、キム・オクビンの美しさよ。前半の、生活に絶望しきっている投げやりな主婦から、後半のヴァンパイアになって妖艶な魅力をこれでもかと振りまきまくる彼女は、とても同じ人間とは思えません。数度はさまれるセックスシーンでのみごとな脱ぎっぷりとうっとりするおっぱい…私はこれを見たくて2回見返しているのだ!!!!

「渇き」におけるヴァンパイア像

そもそも私はヴァンパイアものに弱いです。さかのぼると、王道少女マンガ「ときめきトゥナイト」に行き着きます。小学生3年生の私の誕生日プレゼントはときめきトゥナイト全巻。ときめきトゥナイトのヒロイン・蘭世は純粋なヴァンパイアではなく、狼女とのハーフなので、血は吸いません。でも首元に吸い付く(牙をさす)というビジュアルがもう萌えなわけですよね。ヴァンパイアの真骨頂は、誰がなんと言おうとあの首筋にあります。

 

で、「渇き」におけるヴァンパイア像ですが、簡単に以下にまとめてみました。

  • 超人的な力をもつ
  • 視力・聴力などの五感も人間離れする
  • 太陽の光を浴びると焦げだし、浴び続けると死ぬ
  • 血を吸うと力が出る。
  • 吸わないともともと身体に潜んでいたウィルスなどにやられだす
  • 人間の食べ物は食べられない
  • 人を殺したい欲求がある
  • 十字架とかにんにくとかは大丈夫そう
  • 首の骨折くらいでは死なない

まあこんな感じです。「典型的なヴァンパイア像には飽々」「パク・チャヌクならもっとひねって欲しかった」みたいな意見もあるようですが、私は声を大にして言いたい。

ヴァンパイアは典型的であればあるほど良いのだ!

ゾンビファンの人ってけっこういっぱいいて、よく「あるべきゾンビ像」みたいな論争を見かけるんですが、それといっしょで、ヴァンパイアも古典的であればあるほど良いと私は思ってるのです。青白い顔とか歳を取らずいつまでも若く美しいとか、美女で処女の血が美味しいとか、そういう耽美主義と切っては切り離せないのです、ヴァンパイアは。

ポーの一族』・『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』など

まあそれほどヴァンパイアもの見てるかといえば、見てないんですけどね。でもせっかくの機会だったので「ポーの一族」を読んでみました。萩尾望都の少女漫画(という安易な枠組みに押し込んで良いのか微妙ですが、一応)です。ここでは太陽を浴びても死なないですね。また、血を吸わなくても手で人間に触れるだけで生気を吸い取れるという描写があります。あとは薔薇ですね。薔薇が糧になっています。オオイヌノフグリとかではもちろんだめです。薔薇というところにヴァンパイア性を感じます。

 

歳はとらず、子供の頃になヴァンパイアになったら一生子どもの姿のまま、ということから悲劇が生まれたのは「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」もそうですね。映画はけっこう酷かった印象があるけど、でもやっぱブラピがヴァンパイア姿でいてくださるというだけで5千点(あとはほとんど覚えてない)。

 

ヴァンパイアものって、かなり設定に幅があるんですよね。話がそれたけど、この「渇き」では陰気な神父をヴァンパイアにするところに新奇性があったのかな。それをただの悲劇にせず、コメディにするところがチャヌク監督の上手さだなと私は思いました。

 

でも何と言っても、この映画の真髄は姑にあるでしょう。かなり強烈なキャラですが、物言わぬ観察者になってからの姑はものすごい凄みがあります。夫を殺してからの二人はその罪悪感に飲み込まれそうになり、お互いを傷つけ合うようになりますが、それを沈黙のまま(まあしゃべれないからなんだけど)ただ見つめる姑は、いったいどんな役割をしているのか?

 

神父にとっては神のような存在なのではないか、と途中思ったけど、違う、むしろテジュにとって神のような視点なのではないか、と思い直しました。実際テジュにとって、姑は母親のような役割をしてきている。彼女の世界はあの非常に歪んだ呉服店のなかでほぼ完結しており、そのなかで姑は神に等しかったはず。神父に救ってもらったと思いきやテジュは夫を殺したあともあの呉服店の二階の家に住み続けるし(どこかに出ていっても良かったのに)、姑の世話をし続けている。

韓国的な家庭感もあるんだろうな。そのへん韓国文化に詳しくないからよく分からないけど…一度その点をじっくり勉強してみたいなと思いました。

 

思い出したこと

パク・チャヌク作品を見ると園子温を思い出すのは私だけではないはず。特に『冷たい熱帯魚』を思い出しました。あとテジュが屋上から落とされて身体がめちゃめちゃになるんだけどふらふらしながら起き上がるところ、『永遠に美しく』を思い出したな。あれ昔テレビで飽きるほどやっていたけど、今でもやってるのかな?